崖っぷちに立っているのに いつまでも おセンチに浸りきっている 鈍感でナルシストな中年社員へのエール
タイトルのとおり「崖っぷちに立っているのに いつまでも おセンチに浸りきっている 鈍感でナルシストな中年社員へのエール」であり、得意の独り言だが、後日、本人へはきちんと伝えさせていただいた。
あなたが 悪気なく、また 深く考えることなく言い放った「最後は神頼み」って言葉について考えてみた。
これ、最後というだけあって やることをすべてやりきった人が「もう他には やることはないっ!」ってときに、 「せめて あと最後に……」と すがるような気持ちでお願いする 執念のようなものだと考えている。
まだ ろくに行動していないにもかかわらず 丁寧に神頼みをしたところで 何がどうなるんだろうか?
結果って、祈れば 抽選で棚ぼた式のように得られるんだっけ?
人は 心の状況が辛いときに つい このような行動を取りがちなのだろう。
理解できなくもない。
しかし、
おセンチな心情に絡めとられたままジッとして動かないと、情け容赦なく底なしの沼地に足が、腰が、胸が、首が、顔が、その存在自体がズブズブと音を立てて沈んでしまう。
辛いときほど、頭で考えたり 心で思ったりせずに、とにかく なりふりかまわず 全身をジタバタさせてみることだ。
それは 数日ではなく、数か月や数年単位で考えておくほうがいい。
考えるのは それから。
思うのは さらにそれから。
以上を踏まえて、さらにもう一つだけエールを。
数字に果敢に挑む姿を「アスリート」と称すると考えている。
これは、スポーツでもビジネスでも一緒のことだ。
ビジネスがスポーツと異なるのは、自分の意思に関係なく アスリートの土俵に立たされているということだ。
事実、直接か間接かを問わず あなたが携(たずさ)わる業務によって顧客は対価を支払い、それを原資に 会社はあなたに報酬を支払い、それを さも当然のようにあなたは受け取っているはずだ。
この事実のもとでは アマチュアという概念は存在せず、したがってその猶予期間も選択肢もない。
ビジネスアスリートは、お金を含めた数字から逃げて競技には参加すらできないことを はじめに知らないとならない。
なぜなら、結果は全て数字で推し測られるのが 否応もない現実であり、世界共通のルールだからだ。
あえて極端に云うならば、身体や心のコンディションがどうであれ、だ。
おセンチな気分にさえ浸らなければ、いたってシンプルな話ではないだろうか。
そしてさらに、ビジネスアスリートにとっての個性とは、その先の評価のうえに成り立つものということを理解する必要がある。
優しいもいいだろう。
ひょうきんもいいだろう。
大食いもいいだろう。
だが、そのようなことは 数字に臨んだ結果と評価のあとだ。
「数字がすべてではない」を「数字を無視していい」と好都合に勘違いしていないか。
「責任」は 数字と向き合う態度とセットでなければ「責任放棄」になることを理解しているか。
数字と向き合わない人ほど 相手にムダなコミュニケーションコストを払わせていることに気付いているか。
アスリートが誰と 何と戦っているかは、自分でもあるし 自分を取り巻く関係や世界でもある。
つまり、自分の都合だけで生きていないし、それでは世界が成り立たないことを理解し 覚悟しているということだ。
責任とは このような姿勢のうえに成り立ち、義務とは 行動によって果たすものではないだろうか。
まずは、具体的な行動の量をガッツリと稼ぐことに励んでもらいたい。
くたばるには まだまだ早すぎる。
年齢と経験が培った旨味がどこかにきっとあるはずだ。
崖っぷちに立っているのに いつまでも おセンチに浸りきっている 鈍感でナルシストな中年社員へのエールの言葉と理解してもらえると幸いだが…。
エレファントカシマシの『俺たちの明日♪』でも聴いて、今ここから「さぁ、頑張ろうぜ~♪」( `ー´)ノ