車内で見た「売れるはず」の試作品
まだ私が金融業に勤めていた頃のことです。当時、取引のあったM氏から「駅前まで来てほしい」と電話が入り、指定されたロータリーへ向かうと、停車中の車の運転席にM氏の姿を確認できたため、私は促されるまま助手席に乗り込みました。
挨拶もそこそこに、M氏が後部座席へ手を伸ばして取り出したのは、一般家庭に見られる表札よりも少し大きめの、石で作られた四角い板状の品物で、表面には写真が印刷されていました。
「青木さん、これ見てよ。絶対に売れると思って、さっそく試作品を作って今いろいろ動いてるんですよ」
意気揚々とそう話すM氏の車の後部座席には、同じような試作品が100個から150個ほど積まれていたと記憶しています。
その正体は、ペット用の墓石プレートでした。
信用だけでは資金を調達できない局面
M氏の会社は、大阪府守口市で住宅設備機器の販売と設置工事を営み、システムキッチン、浴室、給湯器、トイレなどを扱っていました。メーカーからの工事依頼や一般顧客からの問い合わせ、設置後のメンテナンスを中心に、年商は6000万円前後だったと記憶しています。
大きく儲かっている状況ではなく、繁忙時には外注業者の力も借りながら細々と事業を営む、ごく一般的な零細企業でした。
創業から7年ほど経過したタイミングで、M氏の会社は資金繰りに窮し、取引先への支払い、従業員への給料、金融機関への返済が重くのしかかっていたのでしょう。不足する資金を補うために身内や金融機関を回る日が続いていたようです。
私が勤めていた会社でも追加の保証人を求めていたため、実質的には、もはや信用だけで資金を調達できる段階ではなくなっていました。
本業から離れた多角化の危うさ
助手席に座った私に向かって、M氏は追加融資を何とか受けたいという切実な思いをにじませながら、墓石プレート販売の考えを語りはじめました。
「青木さん、これから高齢化が進めば、独り身の高齢者が増えるでしょ。そうなると、ペットを飼う人も増えるはずです。
ただ、ペットそのものを扱うのは許認可や飼育の負担が大きい。
だから、亡くなった後に必要になる『墓石プレート』を販売しようと考えたんです」
M氏の説明は、おおよそそのような内容でした。
この着想そのものを、頭ごなしに否定するつもりはありません。当時のM氏は誰よりも将来を案じ、必死に打開策を探していたのだと思います。
ただ、事業の立て直しや新規事業の相談に関わるようになった今の私から見ると、当時の選択には見過ごせない違和感があります。その中心にあるのは、「売れそう」という感覚と、「資金繰りを改善できる」という現実の間に距離があることです。
ここは、商品と顧客の軸で見ると整理しやすくなります。簡単に分けると、次の四つです。
① 既存商品 × 既存顧客:既存事業の深耕
② 既存商品 × 新規顧客:新規顧客の開拓
③ 新規商品 × 既存顧客:新商品・新サービスの投入
④ 新規商品 × 新規顧客:多角化、新規事業色の強い展開
商品も顧客も既存事業から離れるほど、不確実性は増します。
M社の墓石プレートは、明らかに新規商品です。一方で、住宅設備の顧客の中にペットを飼っている人がいる可能性はあります。しかし、それは偶然の重なりに近く、購買動機や購入タイミングが提案力でどうにかなるものではありません。
もちろん、ペット葬儀会社やペット霊園に卸す道も考えられたでしょう。しかし、それもM社にとっては新規市場の開拓です。何枚単位で扱ってもらえるのか、既存の取引先や競合商品をどう崩すのか。その道筋が見えないまま試作品を積み上げても、資金繰りを改善する根拠としては弱かったはずです。
言い換えれば、M氏の考えは「売れそうだ」という着想としては分かるものの、「誰に、どの販路で、なぜ今買ってもらえるのか」という問いに耐えられるほど、事業として成り立つ根拠が見えていなかったのだと思います。
資金も時間も余っている会社が小さな実験として試すならまだしも、支払いと返済に追われている会社にとって、実質的に④の新規商品 × 新規顧客に近い多角化へ踏み出すことは、会社を立て直すより先に、残された体力を削る危険のほうが大きかったのではないかと感じます。
売上見込みより先に見るべき利益額
新規事業を会社の立て直し策として考えるなら、売上見込みだけでは足りません。確認すべきは、必要な利益額に届く販売数と、そこに到達するまで手元資金が持つかどうかです。
もちろん、新規事業の検討に必要な数字は、業種や状況によって変わります。本来は損益分岐点、資金繰り、初期投資、回収期間なども見るべきでしょう。ただ、M社のように資金繰りに窮した会社が立て直しの一手として新規事業を考えるなら、少なくとも次の逆算で必要利益額と販売数の距離感は押さえておく必要がありました。
必要利益額 ÷ 1件あたりの利益 = 必要販売数
たとえば毎月の返済や固定費を補うために30万円の利益が必要だとして、1件あたりの利益が3000円なら月に100件、500円なら月に600件を売らなければなりません。
ここで大切なのは、利益の「率」ではなく、「額」を見ることです。利益率が高く見えても、1件あたりの利益額が小さければ、返済や固定費には届きません。
加えて、その販売数に届くまで手元資金が持つのかも見ておく必要があります。必要利益額に届くまで半年かかる新規事業でも、手元資金が3か月分しか残っていなければ、資金繰りには間に合いません。
支払いが遅れると当然ながら信用は削られ、相手から「もう関わりたくない」とまで思われてしまえば、立て直しの難度は一段と上がります。
では、M社が選んだ墓石プレート販売は、この必要利益額に届く事業だったのでしょうか。
システムキッチンの販売設置であれば、1件あたり数万円、場合によっては十数万円程度の収益が見込める場面もあったでしょう。住宅設備事業で得られる収益規模をもとに、借入金額や返済期間が設定されていた可能性は高いはずです。
一方で、墓石プレート1枚の利益は、一般的にはかなり小さくなります。仮に利益率がよく見えたとしても、利益額の単位が違えば、既存事業の返済や固定費を埋めるには相当な販売数が必要です。そこに営業の手間、在庫、入金までの時間が加われば、資金繰りを改善する打ち手としての現実味は薄れていきます。
希望を数字で疑う
その後、程なくしてM社は自己破産を申し立て、倒産しました。購入して間もない新築の自宅も競売にかかり、私の記憶では、その自宅は奥様との共有名義だったはずです。その影響もあってか、M氏は家族とも離れて暮らすことになったと、後に関係者から聞きました。
新規事業がすべての原因だったと断定するつもりはありません。倒産には、既存事業の収益悪化、借入の重さ、固定費、回収遅れなど、複数の要因が絡みます。
ただ、少なくとも、立て直しの一手として選んだ新規事業が、資金繰りを改善する役割を果たせなかったことは確かです。むしろ、残された資金と時間をさらに削った可能性のほうが高いと見ています。
経営者が未来への打ち手として、新規事業を開発しようとする姿勢を持つこと自体は必要だと思います。しかし、会社が苦しいときほど、その思いつきが反論に耐えられるかどうかを、一度立ち止まって確かめる必要があります。
私は、少なくとも次の三つは見ておくことが賢明ではないかと考えています。
・本業で築いた顧客、販路、信用が、その新規事業でも効くのか。
・必要な利益額に届く販売数は、毎月継続できる水準なのか。
・そこに至るまでの時間、手間、資金負担に耐えられるのか。
新規事業は、希望を託す活路でもあります。
「売れそうだ」と思ったときほど、顧客、販路、利益額、時間、資金負担を一度並べて見る。
そのひと手間が、思いつきと事業計画の境目になるのだと考えています。
青木 永一

著者プロフィール
青木 永一|ベルロジック株式会社 代表取締役
経営学修士(MBA)。事業者向け金融の実務経験をもとに、
中小企業の経営改善、事業再生、管理会計導入、組織づくりを支援。
財務・法務の視点を活かし、経営者の意思決定を支える。
