反発の中に見ていた、組織を任せる人の条件
届いたメッセージと、残った悔い
以前、事業売却に向けた整理で関わったホテルで、当時私が総責任者に据えたいと考えていた女性スタッフから、思いがけないメッセージをいただきました。
新しい運営体制に移って一年が経ち、当時のスタッフの多くが現場を離れたこと。そして彼女自身が責任者として走り始め、これから実現したい企画やホテルへの理想を、あらためて考えていること。
そこに綴られていた言葉を読み進めるうちに、嬉しさが込み上げる一方で、あの現場を離れるときに残った悔いも思い返されます。
彼女は当時、他のスタッフたちからかなり明確な反発を受けていました。
それでも当時の私には、彼女を中心に据えることが、このホテルの可能性を最も引き出す判断に見えていたのです。今回届いたメッセージを読みながら、その判断と、あの現場に残してきた悔いをもう一度考えることになりました。
私が関わり始めた時点で、事業売却の話はすでに動いていたものの、数社からの打診は条件が合わず、具体的な出口が見えていたわけではありません。オーナーには、外部の支援者や運営事業者に任せてきた経緯の中で、不信や疲弊も重なっていたのでしょう。売却までのあいだ、自分の側に立って状況を見てくれる存在を必要としていたのだと思います。
介入直後に目に入ったのは、それ以前の運営体制の中で積み重なっていた曖昧さです。赤字をどう縮小し、事業をどう立て直すのかという筋道が見えないまま、日々の負荷だけが現場に投げ込まれているように感じられました。
はじめの数か月は、既存の運営会社に対する監督的な立場に近く、業界特有の指標、雇用に関する諸問題、外部関係者との取引条件などについて、厳しく見直すよう求めていました。その後、運営会社との契約は打ち切りとなり、それまで監督的に見ていた課題を、今度は私自身が運営責任を負う立場で引き受けることになります。
ところが、その三か月ほど後に売却先が急転直下で決まります。そこからは買い手側の要望に沿った事務作業も加わり、しばらくの間は従業員に事業売却が決まったことを伏せたまま、日々のコミュニケーションを取らざるを得なくなりました。
組織と事業運営を正常化させたい気持ちはあっても、伝えられること、踏み込める範囲には多くの制限がある。私の中にやり残した感覚が強く残ったのは、そのためでもあります。
私が見ていた判断材料
当時、私が見ていたのは、その女性スタッフが周囲からどう見られているかだけではありません。人望や関係性も判断材料にしながら、それ以上に、この人を中心に据えたとき、ホテルが前へ進む確率が高まるのかを見ていました。
判断材料はいくつかあります。このホテルの顧客が誰で、何に価値を感じているのかを見ようとしていること。今あるサービスのうち、何を残し、何を見直すべきかについて仮説を持っていること。どういうポジションを取れば、選ばれる場所になり得るのかを考えていること。
また、業界を問わず他社のサービス内容を知ろうとする姿勢もありました。外の水準を見ようとする一方で、客室清掃やリネン交換のように顧客の評価へ直結する足元の仕事にも目を向けている。長い経験から、そこで働く人たちの事情や関係性まで理解しようとしていたことも、私には大きな判断材料でした。
どれか一つだけであれば、総支配人に据える対象として考えることはありません。理想だけを語っても、現場を知らなければ空回りしますし、現場だけに詳しくても、理想がなければ日々の作業を守ることに閉じていく。彼女の場合は、まだ粗削りながら、その両方が同じ人の中にありました。
ただ、彼女をそのまま責任者に据えればよいと単純に考えていたわけではなく、言い方や伝え方には粗さがあり、判断や伝達の順番が噛み合わない場面もある。そのずれが周囲の反発を強めていたことは、無視できない課題でした。
それでも、反発の多さだけで外してしまえば、別のリスクが残ります。事業をどう立て直し、顧客に何を届け、現場の無理をどこから解いていくのか。その問いと、解決に向けた仮説を持たない人を中心に据えれば、組織は一時的に落ち着いて見えても、前へ進む力を失っていく。
当時の私が見ていたのは、彼女の完成度ではなく、粗さを抱えながらも、このホテルをどう成立させるかに意識が向いていたことです。彼女を外すべきではないと考えた理由は、そこにありました。
理想を、判断できる形に整える
責任者に求められる能力の一つに、現場で聞こえてくる声を、そのまま受け取らない力があります。不満には事実も含まれますが、感情も混ざります。要望のように聞こえるものの中にも、事業に必要なものと、単に居心地を守りたいだけのものがある。
だからこそ、現場の声を聞いたあとには、感情と事実を分け、何が業務上の支障で、何を判断材料として扱うべきかを見極める必要があります。ただ、この整理は現場の中だけで終わりません。現場で起きていることを、上司が判断できる材料へ変えていくところまで含めて、責任者の仕事なのだと見ています。
彼女は、現場で起きていることを自分ひとりの判断だけで抱え込む危うさも、どこかで分かっていたように見えます。自分の考えや理想をただ主張するだけでは、周囲との摩擦が強まったときに孤立していく。だからこそ、上司に状況を共有し、足りない視点を補ってもらえる関係を、現実的に必要としていたのだと思います。
理想と現実の間にある課題、現場の絡み合った事情、そして上司の判断材料を理解し、さまざまな制約を踏まえて次に進める案を練り上げていく。いわば、現場と意思決定の交通整理です。
理想と現実の段差を正しく畏れる
彼女のメッセージで印象に残ったのは、責任者になったという報告そのものより、その先に向かおうとしている言葉でした。
今取り組もうとしている企画があり、これまで協力会社として関わってきた先と、今後も同じ形で組むべきかを見直す必要もある。一方で、口下手な自分が交渉の場で言い負かされるのではないかという不安も、率直に綴られていました。
同時に、その企画には面白さと広がりがあり、変化していかなければ未来はないという切実さも伝わってきます。
興味深かったのは、前に進みたい気持ちと、現実への畏れが文章の中に共存していたことです。取引先との関係、自分の弱さ、現場にかかる負荷から目をそらさず、それでも次を考えようとしている。そこに、当時私が見ていたものと同じ姿勢が残っていました。
現場の事情は、最後まできれいに解きほぐせるとは限りません。分かり合えないことや矛盾、分断の種を抱えたまま、それでも次の判断を置いていく場面のほうが多いのが現実です。
だからこそ、意思と姿勢だけは理想の方向へ向け続ける。半ば執念に近いものかもしれません。
彼女のメッセージにその姿勢が残っていたことが、私をもう一度、あの現場での判断へ立ち返らせてくれました。
青木 永一

