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中年からの学び直しを、不良資産にしないために

学生の頃の私は、ずいぶん面倒な生徒だったように思います。

 

「こんなもの、何の役にも立たない」

 

そう啖呵を切るようにして、多くの授業から距離を置いていました。

 

今振り返れば、それはわがままの正当化であり、言い訳に近いものだったのでしょう。もっともカッコ悪い行為に、精一杯カッコつけていた。そんな自分を反省しつつ、どこか滑稽で、少し可愛くも感じます。

 

ただ、当時の自分にも、一応の言い分はありました。

 

実際の社会をまだ知らない立場では、教科書に書かれている知識が、何に使えるのか見えていなかったのだと思います。何の役に立つのか。実際の仕事や社会の中で、どのように意味を持つのか。その想像が追いつかないまま、反抗することで自己主張をしていたのかもしれません。

 

 

中年真っただ中の今、私は「数学」と「歴史」を積極的に学び直しています。

 

あの頃、教科書の中に閉じ込めてしまった知識を、いまさらながら開け直している感覚があります。面白いのは、同じ知識でも、社会経験を経たあとに触れると、まったく違う輪郭を持ちはじめることです。

 

数学は、仕事上の課題を整理し、共通化し、構造や変数として見直す助けになります。感覚でつかんでいたものを、条件や関係性として扱えるようになる。

 

一方で歴史は、目の前の問題が、なぜ今その形で現れているのかを考える入口をくれます。出来事には本流と支流があり、その場にいた人たちには、それぞれの事情と、見えていた風景がある。

 

仕事で何かの課題に向き合うとき、数字だけで見れば冷たくなり、経緯だけで見れば曖昧になる。

 

だから私は、数学で構造を見て、歴史で文脈をたどる。この二つを行き来することで、対象を少し立体的に捉えられるようになってきました。

 

 

ただし、中年を迎えてからの自己投資には、若い頃とは違う怖さがあります。

 

時間もお金も、以前ほど無邪気には使えません。学ぶこと自体は尊いとしても、「学んだ」という満足だけで終わるなら、その投資は少しずつ不良資産に近づいていく。

 

あとから振り返ったとき、何にも使えていない知識、本棚に積み上がったままの本、何年も前に読んだはずなのに内容も思い出せない本が残っているだけなら、それは、少し虚しさが残ります。

 

もちろん、本はすぐに役立つものばかりではありません。積み上がった本にも、いつか思考の奥で効いてくるものはあります。

 

それでも中年以降の学びでは、どこかで「何が変われば回収できたと言えるのか」という問いを持っておきたいところです。

 

つまり、この学びによって何が変われば成果と言えるのか。

 

知識が増えること。資格が増えること。誰かに語れること。もちろん、それらも一つの成果かもしれません。

 

ただ私にとっては、判断の質が上がること、関わる人への貢献が増えること、未来の選択肢を少しでも広げられること。そのあたりまで届いてはじめて、自己投資に手触りが生まれるのだと感じています。

 

 

学生時代の学びと違うのは、すでに現場での経験や責任を持っている点です。

 

だからこそ、中年の学び直しは、知識を増やす行為にとどまりません。過去の経験を照らし直し、これからの判断を変えていくための作業でもある。

 

 

かつて私は、役に立つかどうかを理由に、学びから逃げていました。

 

今は、学んだものを役に立てられる自分でいられるかどうかを問われている気がします。

 

不良資産の蓄積によって、未来を先細らせないように。

 

意義深く、注意深く、そして貢献に貪欲な中年でありたい。

 

自戒を込めて。

 

青木 永一