銀行から一本の電話がありました。
「年明けから、借入金利を0.5%引き上げます」
それまでにも0.25%ずつ、二度ほど上がっています。その都度負担は増えたものの、会社全体ではまだ吸収できていました。ところが、今度は0.5%です。
数字だけなら、それほど大きく見えないかもしれません。
ただ、金利は借入残高全体に効いてきます。借入額が大きければ、0.5%の意味も変わる。
その社長とは以前から経営について話を重ねていました。今回も、「一度、どこまで影響するのか数字を置いてみましょうか」というところから対話が始まります。
金利が上がった場合、賃料を改善できた場合、保有を続けた場合、いくつか売却した場合。条件を変えながら、利益だけでなく、最終的に手元の資金がどう動くのかまで見ていきました。
ファイナンスでもよく使われる感度分析に近い見方です。未来を一つに決め打ちするのではなく、前提が動いたときに数字がどこまで変わるのかを見る。
この時点では、私も社長も「どの物件を売るか」という話をしていたわけではありません。
合理的な判断の積み重ねが、余裕を削る
この会社は、本業とは別に複数の不動産を保有し、今では本業に迫るほどの利益を生む事業に育っていました。
立地条件のよい物件を取得し、賃料収入を得ながら借入元本を返していく。必要になれば将来売却することもできる。一件一件の判断には、それなりの合理性がありました。
ただ、物件価格が上がるにつれ、新しく取得する物件は以前ほど採算が合わなくなります。それでも既存物件の賃料が支えるため、すぐに問題になるわけではない。
そうして所有数が増える一方で、手元資金への負担は少しずつ重くなっていました。
まず取り組んだのは、賃料の見直しです。
周辺相場や契約条件などを整理し、値上げをお願いする根拠をかなり細かく準備しました。一度断られた相手にも、条件を整理し直しながら重ねて交渉しています。
値上げ幅が小さいケースもありましたが、当初の想定以上の件数で承諾を得られました。
賃料が上がれば毎月の収入は増えます。収益物件なら、収益力の向上は売却価格にもプラスに働く可能性がある。
しかし、それでも金利上昇による負担増を吸収しきれません。
借入金利は残っている借入金全体に影響します。個々の賃料を改善しても、借入残高が大きければ、資金調達コストの増加には追いつかないことがある。
ここで、考えるべきことが変わりました。
「もっと賃料を上げられないか」ではなく、「この資産を持ち続けること自体をどう考えるか」です。
数字を改善することと、経営の構造を変えることは同じではありません。
資産を持つ目的は、どこにあったのか
保有を続けた場合と、いくつかの物件を売却して借入を減らした場合を計算していくと、数字の先に別の問いが浮かびました。
「そもそも、何のために物件を増やしてきたのか」
答えが分からなかったわけではありません。ただ、所有数を増やす方向で長く動いてきたため、そこから一度離れて考えるには少し時間が必要でした。
もともとの目的は、不動産賃貸業者として物件数を増やすことではなかったのです。
長く続いたデフレの先で、物価や資産価格を取り巻く環境が変わる可能性に備え、立地条件がよく、必要になれば資金化しやすい物件を持っておく。
保有中は賃料収入で借入元本を減らし、必要な局面になれば売却する。売却価格と残債との差から資金を作る。
そこまで含めて、最初から考えていたことでした。
だとすれば、売却は戦略の失敗ではありません。むしろ、本来想定していた資産の使い方へ戻る判断ともいえます。
これは不動産だけの話ではないでしょう。
製造業なら設備。
小売なら在庫。
飲食なら店舗。
成長企業なら先行採用。
あるいは、M&Aで取得した事業かもしれません。
目的を実現するために増やしていたものが、いつの間にか「増やすこと」そのものに置き換わる。経営では、十分に起こり得ます。
負債は、倒産より前に経営を縛る
ここで少し、ファイナンスの見方を入れてみます。
借入には、自己資金だけではできない投資を早める力があります。一方で、負債が増えるほど、金利や売上の変化に対する会社の感応度も高くなる。
ファイナンスでは、負債を使うメリットと、増えすぎたときの財務負担や破綻リスクをあわせて考えます。
ただ、中小企業で「最適な負債比率は何%か」と考えても、それだけでは実務に落とし込みにくい。業種も収益の安定性も、資産の換金しやすさも違うからです。
それより私は、
借りられる額と、借り続けても経営の自由を失わない額は違う
と考えたほうが、判断には使いやすいように思います。
まだ返済できる。銀行も貸してくれる。利益も出ている。
それでも、金利が少し動くだけで次の投資をためらい、数万円の支出が気になり、手元資金を減らしにくくなっているなら、財務上の余裕はすでに削られ始めています。
資金繰りが破綻するところまで行かなくても、選べるものが減り始めれば、負債はすでに経営判断を縛っています。
未来を当てるより、変化への感度を持つ
今回、金利が上がる前に売却できていれば、よりよかったのかもしれません。
ただ、0.25%の上昇を二度経験した時点では、まだ所有数を増やす方向で考えていました。次は0.5%上がると読み、その時点で方針を変えるのは簡単ではありません。
だからこそ、未来を当てることとは別の意味で、ファイナンスを使う価値があります。
金利が0.5%上がったら。
原材料が5%上がったら。
人件費がさらに増えたら。
大口顧客の売上が落ちたら。
前提を少し動かして、数字を置いてみる。
そこで確認したいのは、「今、大丈夫か」だけではありません。
何がどこまで動いたら、これまでの方針を変えるのか。
今回、銀行からの電話が答えを教えてくれたわけではありません。ただ、昨日までの判断をそのまま続けてよいのか、計算し直すきっかけにはなりました。
そして数字を追ううちに、「どの物件を売るか」という話から、「そもそも何のために持っているのか」というところまで戻っていった。
ファイナンスを経営の武器にするなら、数字を読む力だけでは足りないのだと思います。
その数字を見る前に、何を問うのか。どの変化をリスクとして捉え、どこを方針転換の境界とするのか。
変化の兆しを早く捉え、それを数字で確かめる。その感度が、ファイナンスを経営の武器に変えていくのだと考えています。
青木 永一

著者プロフィール
青木 永一|ベルロジック株式会社 代表取締役
経営学修士(MBA)。事業者向け金融の実務経験をもとに、
中小企業の経営改善、事業再生、管理会計導入、組織づくりを支援。
財務・法務の視点を活かし、経営者の意思決定を支える。
