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「現場の声」の顔をした、妄想の暴走と分断の構造

反発の多さは、正しさの証明ではない

組織の中で反発する人が多いと、その声がいかにも正しいもののように見えることがあります。けれど、私はそこに何度も違和感を覚えてきました。

 

反発している人が多いことと、その反発が組織にとって正しいことは別です。

 

人数が集まっているからといって、その主張が、顧客の評価、運営の実態、収支、事業の先行きまで踏まえたものとは限りません。少なくとも私が関わってきた小さな組織では、不思議なほど似た構造がありました。

 

現場の声のような顔をしながら、実際には自分たちの居心地や感情を守るために集まっている声があります。

 

もちろん、現場から上がってくる声を軽く扱ってよいという話ではありません。経営者や外部から関わる者には見えにくい不便や無理があり、そこを拾えなければ、現場で何が詰まっているのかを見誤ります。

 

ただ、その主張が本当に改善の種なのか。それとも、不満の対象となっている本人に確認することも、事実関係をそろえることもないまま、周囲の解釈だけで膨らんだ感情なのか。そこを見分けずに鵜呑みにすれば、組織は静かに内側から分断されていきます。

 

私はこうした状態を、半ば自戒も込めて「妄想の暴走」と呼ぶことがあります。

 

不満の対象となっている本人とは話し合わない。

事実関係を確かめない。

相手の言葉や態度を、自分たちに都合よく解釈する。

そして、いつの間にか「自分たちの不満」が「現場の正義」のような顔をし始める。

 

小さな組織で怖いのは、反発そのものではありません。反発が、集団の中で感情を確かめ合うための材料へ変わってしまうことです。

 

目指す場所が示されないと、基準は曖昧になる

経営者が目指す場所を言葉にできず、それが現場にも届かないまま時間が過ぎると、現場はその日その時をどうにか回すことへ意識を集中させていきます。

 

その状態が長く続けば、支出や役割、人員配置、残業といった基準まで少しずつ曖昧になり、本来は見直すべき状態が「いつものやり方」として定着することがあります。

 

私が関わった現場にも、その難しさがありました。事業を続けるために整えなければならないことはいくつもありましたが、長く続いた状態を変えようとすれば、そこに慣れていた人たちから反発が起きるのも不思議ではありません。

 

私がそこで見たかったのは、反発の強さではなく、反発している人たちが何を失うことに抵抗しているのかという点でした。

 

「全部わかっている」が、変化を止める

ある場面で、今後の計画やコアメンバーに担ってほしい役割、それぞれがボトルネックになりそうな点について、個別に話していたことがあります。

 

その中で、現場の中心にいた一人にも、今後求めたい役割や変えてほしい行動について少し踏み込んで伝えました。すると彼は苛立ちを隠さない様子で、「僕は全部わかっているんです!」と、やや声を荒げて返してきました。

 

その言葉から私が感じたのは、強がりというより、分からないことを分からないと言えなくなっているような苦しさでした。

 

現場に長くいれば、日々の作業や過去の経緯について知っていることは当然あります。

 

けれど、

現状を知っていることと、これから何を目指すのかを理解していることは、まったく別の力です。

 

目的と目標が変われば、そこへ向かう行動も求められる能力も変わります。これまでのやり方を知っていることには価値がありますが、それだけで未来の設計まで見えているとは限りません。

 

さらに、周囲に自分を支持する人たちがいると、「分からない」と言うことが、その集団の中での立場を揺らすように感じられるのかもしれません。そうなれば、分からないものまで分かっていることにしてしまう。

 

組織で役割を担う人に必要なのは、すべてを分かっているように振る舞うことではなく、足りない視点を受け取り、それまでの経験を新しい目的に合わせて組み直せることではないでしょうか。

 

「全部わかっている」という言葉は、一見すると自信の表れにも聞こえます。けれど、変化が必要な局面では、自分を守るための呪縛となり、学ぶ余地を閉じてしまうことがあります。

 

不機嫌が、職場の隠れた圧力になる

不思議なことに、こうした構造は一つの現場だけで起きるものではありません。私が小さな組織の改善に関わる中でも、自分の立場を守ろうとする人が、相手によって態度をかなり明確に分ける場面を何度か見てきました。

 

不機嫌そのものより厄介なのは、その感情に周囲が合わせ始めることです。

 

社長など、絶対的な権限を持つ人の前では従順に振る舞う一方で、自分の感情が圧力として通用しそうな相手、あるいは冷静に向き合われると自分の立場が揺らぎかねない相手には、露骨に不機嫌を見せる。こうした態度が日常的になれば、職場には目に見えない圧力が生まれます。

 

自分側にいる人の不出来には事情を認める一方で、敵視した相手には一切の事情を認めない。こうした二重基準が積み重なると、職場には「あちら側」と「こちら側」ができていきます。

 

本来、現場で見たいのは、改善すべき具体的な事実です。ところが、その空気の中では、誰の側にいれば安全なのかを探ることに余計な神経が使われ、仕事の基準まで乱されていきます。

 

仕事上の判断や態度を、自分の好き嫌いや機嫌に預けない。これは、組織で働くうえでの基本だと思います。

 

不満を提案に変えられるか

不満の中には、改善の種があります。動きにくい仕組みや無理のある役割分担など、現場にいる人だからこそ気づけることも少なくありません。

 

問題は、その不満をどこへ向けるかです。

 

自分たちの感情を確かめ合う材料にすれば、誰が悪いのか、誰が分かっていないのか、誰のせいで苦労しているのかという話へ流れていきます。現場の空気は一時的にまとまったように見えても、それで仕事が前に進むわけではありません。

 

一方で、改善の材料として扱える人は、何が起きていて、何が業務上の支障になり、どこを変えれば前に進むのかを整理しようとします。

 

不満を言葉にし、提案へ変えられることは、組織の中で役割を担うための基礎的な能力です。

現場の声は尊重するものですが、鵜呑みにするものではありません。

 

大切なのは、声の大きさに反応することではなく、その声のもう一歩奥にある実態へ耳を当てることです。

 

「あの人が悪い」「あの人だけは許せない」という言葉が、特定の誰かを中心に繰り返されるようになったとき、それは改善の声から離れ、小さな徒党の感情を正当化するものへ変わっていることがあります。

 

そこを見誤ると、妄想の暴走は現場の空気だけでなく、経営の意思決定までも浸食しかねません。

 

歪んだ感情が職場に根を張ってしまうと、それを取り除くには思いのほか骨が折れます。丁寧に向き合っても、徒労に終わることさえある。

 

難所への備えに、終わりはない。

 

それを経営と呼ぶのかもしれません。

 

青木 永一

 

著者プロフィール

青木 永一|ベルロジック株式会社 代表取締役

経営学修士(MBA)。事業者向け金融の実務経験をもとに、
中小企業の経営改善、事業再生、管理会計導入、組織づくりを支援。
財務・法務の視点を活かし、経営者の意思決定を支える。