「過去最高」と「実力の向上」を、私たちは混同していないだろうか
過去最高は、実力が上がった証拠なのか
以前、取引先の営業担当者が、ある月、過去最高の売上を叩き出しました。
それまでの数字から考えれば、明らかに突出した成果です。本人も手応えを感じたのでしょう。「これくらいはできる」という雰囲気が、言葉や振る舞いにも少し見えるようになりました。
ところが、その数字は続きませんでした。
翌月、その次の月と売上が以前の水準へ近づくにつれ、「今月は稼働日が少なかった」「顧客とのタイミングが合わなかった」といった言葉も増えてきます。
その様子を見ながら、過去最高という「結果」と、実力が上がったという「自己評価」は、案外簡単に混ざるものだと実感しました。
スポーツでは「二年目のジンクス」という言葉があります。一年目に驚くような成績を残した選手が、翌年にはそこまでの数字を残せなくなる。もちろん、相手から研究されたり、ケガをしたりと、その理由はさまざまでしょう。
一方、統計には「平均への回帰」という考え方があります。極端に良かった、あるいは悪かった結果のあと、次の結果が普段の水準へ近づきやすくなる現象を指します。
突出した成果には、本人の実力だけでなく、顧客との巡り合わせや市場環境、タイミング、そして偶然まで混ざります。同じ条件が、次もそろうとは限りません。
私も統計を学ぶなかでこの考え方を知ったとき、「なるほど、そういうことだったのか」と妙に腹落ちしたことを覚えています。
「改善した」と「改善させた」は同じではない
平均への回帰を知ると、経営やマネジメントの現場で見慣れた光景も、少し違って見えてきます。
たとえば、営業担当者の数字が大きく落ちたとします。上司は本人を呼び、自分の経験をもとに、行動量を増やすことに加えて精神論めいた指導まで行った。その翌月、売上が回復したとしましょう。
こうなると、「やはり、あの指導が効いた」と考えたくなるものです。
店舗でも似たことが起こります。売上が急に落ちたため、販促を増やし、会議を開き、スタッフ教育も行った。その翌月に数字が戻れば、「今回のテコ入れは成功だった」と評価したくなるでしょう。
もちろん、本当に指導や施策が効いている場合もあります。
ただ、ここで一度考えてみたいのです。
「介入したあとに改善したこと」と、「介入したから改善したこと」は、同じでしょうか。
少しわかりにくいので、もう少し具体的に見てみます。
私たちは、数字が普段の範囲に収まっているときには、あまり大きな介入をしません。極端に悪い数字が出たからこそ、指導したり、施策を打ったりします。
ところが、その数字自体に一時的な下振れが含まれていたのであれば、次は何もしなくても普段の水準へ近づいた可能性がある。その自然な回復まで、自分たちの介入効果として受け取ってしまうことがあります。
これは、指導や施策が無意味だという話ではありません。気になるのは、結果が改善したという事実だけで、「自分たちの判断は正しかった」と結論づけてしまうことです。
成功から、間違ったことを学ぶこともある
同じことは、成功したときにも起こります。
売上が伸びれば「この営業方法が正しかった」。新商品が売れれば「企画が良かった」。業績が上がれば「経営判断が当たった」。
そう考えるのは自然ですが、成果には市場環境、顧客側の事情、競合の動き、タイミングなど、自分たちだけでは動かせないものも混ざっています。
だから、良い結果が出たことと、良い判断をしたことは、いったん分けて見たほうがよいのです。
失敗すると、人は原因を探します。ところが成功したときは、「このやり方で正しかった」と確信しやすいものです。ここが、結果から学ぶときの厄介なところでしょう。
失敗から学ぶことはもちろんですが、成功から間違ったことを学んでしまう可能性にも、意識を向けておきたいのです。
実力は、普段の成果水準に表れる
では、何を見れば「実力が上がった」と考えやすくなるのでしょうか。
それまで売上100前後だった人が、ある月だけ180を出した。それだけでは、営業力そのものが上がったとはまだ言い切れません。
一方、その後110、115、120といった数字を以前より安定して出せるようになったなら、見方は変わってきます。
一度だけ到達した過去最高より、その後どこまで再現できるようになったかを見るほうが、その人の実力には近づけるのではないでしょうか。
もちろん、営業成績は毎月上下します。顧客の事情もあれば、案件のタイミングもある。それでも、以前なら「かなり良い月」と感じていた数字が少しずつ珍しくなくなれば、普段の成果水準そのものが上がってきたと考えやすくなります。
成果の手前にある「実力の構造」を変える
その水準を上げる方法も、派手なものばかりではありません。
・営業技術を磨く
・見込み客の母数を増やす
・継続的に接触できる仕組みを持つ
どれも、成果の手前にある「実力の構造」を変える取り組みです。
こうした取り組みを平均への回帰という視点から見ると、大きく二つの意味が見えてきます。ひとつは、普段出せる成果の水準そのものを高くしていくこと。もうひとつは、成果の不要なばらつきを小さくすることです。
つまり、一度の突出した数字を追うのではなく、普段の水準そのものを高めながら、その成果をより安定して出せる状態に近づけていくわけです。
たとえば、見込み客が少なければ、一人の顧客の判断が売上全体に大きく影響します。ところが母数が増え、継続的に接触できる仕組みができれば、一件の失注や延期に振り回されにくくなる。見込み客を増やすことには、成果水準を高めるだけでなく、ばらつきを抑える意味もあるわけです。
売上そのものはこちらの思い通りにはなりません。一方、その手前にある見込み客の数や接触回数、提案の質には、自分たちで変えられる余地があります。
冒頭の営業担当者にも、見込み客のリストを増やし、接触回数を積み上げることについては、以前から何度か話をしていました。
本人も、その重要性は分かっていたのでしょう。ただ、地味で、すぐに成果が見えるわけでもない。どこかで「やったほうがいいこと」の一つとして、軽く扱っていたように見えました。
過去最高の数字が続かず、言い訳をしても状況は変わらない。そんな時間を経るうちに、稼働日や顧客とのタイミングについて口にする言葉も少なくなっていきました。
その頃から、見込み客を増やし、意図的に接触を積み重ねるという地道な活動へ本気で向き合い始め、少なくとも取り組み方は、それまでとは変わっていきました。
今でも数字には上下があり、かつての過去最高がそのまま平均になったわけでもありません。それでも、以前なら「かなり良い月」と感じていた数字の少し手前までなら、珍しいことではなくなってきました。
過去最高をもう一度出せるかどうかより、以前は特別だった成果が、少しずつ特別ではなくなっていく。
実力が上がるとは、案外そういう変化を指すのではないでしょうか。そしてその変化は、成果の手前にある構造を捉え、変えられるものをコツコツ積み上げた先に現れるように思います。
一度の数字に意味を持たせすぎず、過去の推移や普段の水準、ばらつきまで見てみる。統計は、答えを出すためというより、自分の解釈を疑うために使うほうが役に立つのかもしれません。
いま目の前にある数字のうち、どこまでが偶然で、どこからが自分で再現できる実力なのか。一度、疑ってみる価値はあるはずです。
良い数字が出たときほど、それを自分の実力だと思いたくなるものです。けれど、周囲からの耳の痛い言葉まで届かなくなったとき、裸の王様はもう始まっているのかもしれません。
青木 永一

著者プロフィール
青木 永一|ベルロジック株式会社 代表取締役
経営学修士(MBA)。事業者向け金融の実務経験をもとに、
中小企業の経営改善、事業再生、管理会計導入、組織づくりを支援。
財務・法務の視点を活かし、経営者の意思決定を支える。
