今回は、人さまの経営に携わる中で、私自身が何を怖れ、何を拠り所にして考え続けているのかを、自省に近い形で書いてみたいと思います。
疑心暗鬼や不安を抱えながら、それでも前だと思う方向へ進もうとする仕事の実感を、少し言葉にしてみます。
深夜に浮かぶ顧客の課題
ときどき、深夜にふと目が覚めると同時に、顧客の課題に対する打ち手や提案内容が、次々と浮かんで止まらないことがあります。
同じようなことは、シャワーを浴びているときや、食器を洗っているときにも起こります。机に向かっているわけでもないのに、考えていたこと同士が何かの拍子につながり、脳内で連続的に化学反応を起こして止まらなくなるような感覚です。
人から見れば、軽いノイローゼのように映るのかもしれません。ただ、少なくとも私の中では、それだけ問いが残り続けているという感覚に近いのです。
枕元のメモ帳が教えてくれたこと
これまで同じことが何度も繰り返されてきたので、今では枕元にメモを備えています。
突然、脳裏に火花のようにひらめいたアイデアを書きとめることは、寝ぼけていることも手伝って、正直めんどうに感じます。けれども、メモを取らずに「忘れないだろう」と高をくくっているうちに、脳内が完全に目覚めてしまうことがあります。その後に眠ろうとしても、ほとんど眠れないまま朝を迎え、肝心の思いついた内容はおろか、輪郭さえ思い出せないこともあります。
一度沈んでしまったものは、あとから自分の意思の力で引き上げようとしても、なかなか戻ってきません。その経験から、今ではたとえ短い言葉であっても、必ず書きとめるようにしています。
そうしていると、芋づる式に考えが湧き出て、そのまま夜明けを迎えることも少なくありません。出しきったような爽快感はあるものの、同時に疲労感でしばらく呆然とすることもあります。
もっとも、深夜に書きとめたものが、翌朝そのまま使えるとは限らず、冷静に見返すと、粗く、独りよがりで、とてもアイデアや提案の種とは呼べないものもあります。結局、残ったのは寝不足だけだったと愕然としたことも、当初は少なくありませんでした。
それでも、その中に一つだけ、妙に確信を持てる断片が残っていることがあります。完成された答えではありませんが、「ここを見落としてはいけない」「本当の問いはこのあたりにあるのではないか」と感じられるものが、たしかに残ることがあるのです。
「顧客以上に考える」は理想論か
「顧客以上に、顧客の課題を考える」。
この言葉だけを聞けば、ずいぶん立派なことを言っているように響くかもしれません。私自身、厳密には不可能なことだと思っています。
どれだけ時間を費やしても、当事者本人の悩みの深層や、本人にしか触れられない芯の部分へ、外部の人間が完全に届くことはできません。経営者本人にしか感じえない怖さがありますし、現場のスタッフ本人にしか言葉にできない、生々しい諦めもあります。
それでも、他人の経営課題が解決に向かうこと、本当の問いを見つけることが、私にとっての成果です。それを果たせなければ、私は役割を果たしたことにはなりません。
役割を果たせていないと感じるとき、自分の存在価値まで問われているような怖れがあります。要するに、私は臆病者なのだと思います。だからこそ、考え続けることで、その怖れから逃れようとしているのかもしれません。
考え続けることは、私にとって使命のようなものですが、もっと本心に近いところで言えば、強迫観念に近いものなのだと思います。
近づけるのは、責任と冷静さを保てる範囲まで
では、相手の苦悩にどこまで近づけるのか。
完全には届かないとわかっているからこそ、私が近づけるのは、責任を取れる範囲であり、なおかつ冷静さを保てる範囲までになります。
ただし、その範囲は最初から明確に線を引けるものではありません。経営者や課題を抱えるスタッフとの対話の中で、少しずつ見つけていくしかないのです。
相手の表情、声音、沈黙、言葉の選び方から、言葉になっていないものを拾う必要があります。ただし、寄り添うことと、引き込まれることは違います。引き込まれ過ぎれば、私が果たすべき役割を見失ってしまいます。
経営者もスタッフも、人間なので悪気なく揺れることがあります。その場で湧き上がった不安に押され、昨日まで合意していた方向から踵を返すことさえあるのです。
だからこそ、寄り添うだけでは足りず、距離を取りすぎてもうまくいきません。その間で、私が責任を持てる範囲と、冷静さを保てる範囲を確かめ続ける必要があるのです。
経営課題は、人の癖と関係性に絡みつく
人さまの経営に携わることは、きれいな助言だけで済ませられる仕事ではありません。
特に小規模企業の経営課題は、ひとつの原因にきれいに分解できるとは限りません。表面的には、売上の問題、資金繰りの問題、人手不足の問題に見える。けれども、掘り下げていくと、いくつもの問題があらゆる角度からまとわりつき、複雑に絡み合っていることがあります。
数字の問題に見えて、実際には従業員の経営者に対する不信と、積み重なった諦めの問題だった。
業務改善の話に見えて、実際には経営者の意思決定の癖が原因だった。
人手不足の話に見えて、実際には現場が諦めて声を上げなくなっていた。
私はこれを、経営課題の粘着性と表現し、捉えています。
この粘着性を帯びた課題は、力任せに剥がそうとしてもうまくいきません。ひとつを動かすと、別の感情や関係性、過去の不信感まで一緒についてくるため、一筋縄ではいかないのです。
人も、関係性も、積み重なってきた時間の厚さも現場ごとに異なります。だからこそ、過去にうまくいった経験をそのまま持ち込むことはできません。経験は手がかりにはなりますが、それだけで最初から確信を持って進められることは少ないのが現実です。
私自身、経営支援や事業再生の現場で、思うようにいかないことを今もなお経験しています。
それでも、立ち止まったままでは何も動きません。疑心暗鬼もありますし、不安や不満を抱えたまま、それでも前だと思う方向へ進むしかない場面があります。
だからまた、調べ、考え、確かめながら、目の前の課題に向き合うしかありません。
だから私は、運がイイと思うことにしている
私が未熟であることに疑いはありません。知らないことも多く、考えた末に出した提案が、結果として的外れだったと思い知らされることもあります。
それでも、誰かのために考え続けられること。自分の存在を頼りにしてくれる人がいること。そして、自分の執念を向けるべき課題が、まだ目の前にあること。
そういう仕事に向き合えていることを、私はやはり運がイイのだと思うことにしています。
経営者であれ、管理職であれ、人の課題に関わる仕事には、どこまで近づき、どこからどこまでを自分の責任として引き受けるのかという線引きが、常につきまといます。
その線引きに迷い続けるからこそ、ときに足が止まりそうになるのだと思います。
「自分は運がイイ」と言い聞かせることは、私にとって、そんな自分をもう一度目の前の課題に向かわせるためのおまじないのようなものなのかもしれません。
あなたにとって、立ち止まりそうになる自分を、それでも前へ進ませるための“おまじない”のような言葉はあるでしょうか。
青木 永一

著者プロフィール
青木 永一|ベルロジック株式会社 代表取締役
経営学修士(MBA)。事業者向け金融の実務経験をもとに、
中小企業の経営改善、事業再生、管理会計導入、組織づくりを支援。
財務・法務の視点を活かし、経営者の意思決定を支える。
